こども(酔っ払ってるうちに書いておく素直なコメント)

 二日に、友人のお兄さんのお宅にお邪魔(どういう関係なんだか)して、2歳のお子さんと遊んだわけです。それから、昨年暮れには別の友人のお子様二人と遊びました。
 で、その時に(それから今も)強く感じたのは、希望、とゆう言葉です。
 こう、子供には無限の未来が、とかそういううそ臭い話じゃなくて、彼女/彼らの(←どんなに飲んでもPCで偉い自分)親の人たちに対して強くそう思ったわけです。親の人たちの様子をみてると、二十四時間頭のどっかで絶対に、何が何でも、子供のことを考えてるんだってことがわかるわけです。
 表面的には、親の人たちは子供の一挙一動に注意したり、あやしてあげたりしているだけだったし、そもそも僕は子供たちにも親の人も、ごくわずかな時間しかみてなかったわけだけど、それをみていてものすごく嬉しかった。「こういうのがたくさんいるんだから、世の中(相変わらずかもしれないけど)ぜんぜん捨てたもんじゃねえよな」と思ったのです。
 けっこう悲しい事件とかろくでもない話をきくけど、おおかたはこういうまともで強いちからのある親の人たちなんだから、世の中はいい方に進むに違いないよな、と思ったのです。全然論理的じゃないですが。宗教的直感でもいいや。
 この強いちから、っていうのは、僕はとくべつ親の人たちが「えらいなあ」と思ってるわけではなくて、「まっとうな環境に育った」か、「(何らかの必要性から)まっとうな倫理観を持つようにつとめた」だけが唯一の鍵だと思ってます。その点で僕は差別的かもしれない。でもまわりの友人たちを見ていつもそう思いますよ。まっとうな人からしかまっとうな人は育ちにくいって。
 それから、僕はさまざまな外見的内面的制約をものともせず、子供うけは比較的いいです。たぶんそれは僕の親がまっとうだからだと思うけど、申し訳ないけど僕はまっとうになれ(ら)なかったので、子供は持てないなあと思いました。おしまい。

参考:おおむね賛成だけど4は覚悟するもんじゃなくて、かってにそうなるもんだと思う。